『生きるとか死ぬとか父親とか』4話ネタバレと感想│変わりゆく風景の中で・・・

にこ

今回は、2021年4月30日放送『生きるとか死ぬとか父親とか』4話「時代とか東京とか」のネタバレあらすじと感想をまとめました。

Ⓒ『生きるとか死ぬとか父親とか』製作委員会

トキコ(吉田羊)のエッセイが掲載されたタウン誌をさがしに、トキコと父(國村隼)は銀座へ繰り出した。

 

なんとかお目当ての雑誌を見つけ、読んでみると、そこには父と母(富田靖子)の出会いが書かれていて…。

 

変わりゆく風景の中で語られた、今も変わらない思いとは。

 

あなたの心の奥底に眠る風景が、甦るきっかけになるかもしれません。

それではさっそく、4話のネタバレあらすじをご紹介したいと思います。

 

その他のあらすじ

『生きるとか死ぬとか父親とか』4話のネタバレあらすじ

トッキーのひととき、「晴れときどきお悩み」のコーナー。

今回のお悩みは、生まれも育ちも東京の生粋の江戸っ子、「若いながらもモヤシありさん」21歳。

彼女は、東京が大好きだった。

ところがオリンピックの再開発により、自分が好きだった場所がどんどんなくなってしまい、喪失感のようなものを感じているという。

 

東京生まれのトキコ(吉田羊)もそれは感じている。

でも考えてみれば、東京(江戸)をつくった徳川家康も尾張三河の出身だし、

東京は外から来た人が住み着いてどんどんいいものに作り変えていった街だ。

だからトキコは、ある時期から「変化」を受け入れ、楽しむようになった。

 

東京にはそれぞれの時代を象徴する街がある。

60年代の新宿、90年代の渋谷など、その時代の若者にとって青春の記憶と、それらの街の記憶は、分かちがたく結びついている。。

 

父(國村隼)にとっての街は、ダントツで銀座だ。

父も母(富田靖子)も、トキコが子供のころから本当に銀座が好きだった。

なんとその銀座の老舗のタウン誌「銀座百点」に、トキコのエッセイが掲載されたのだ!

 

銀座の思い出を書いてほしいと言われて、トキコは子供のころ、父と母と銀座に来た時のことを書いた。

 

映画を見るといえば、銀座。

その後、父と母が買い物している間に、トキコは店に置かれていた「銀座百点」を読んでいた。

 

そこでトキコは直接、店頭でタウン誌を探してみようと、父と銀座にやってきた。

 

ひさしぶりの銀座

父と銀座に来るのはひさしぶりだ。

 

適当に入った時計店で「銀座百点」を置いてないか聞いてみるものの、知っている人はおらず。。

時計の値段が418万円と知り、父はびっくりして退散した。

 

こうして歩いてみると、銀座も変わった。

外資系の会社が増えたというか。

 

若いころ、父はアメリカ人が経営する会社で働いていて、戦後間もないころだったから、いろいろやばいことも手伝ったという。

 

その後もいくつか店に入って探してみたが、お目当ての銀座百点はなかなか見つからなかった。

父の記憶を頼りに思い出の店を探してみたりもしたが見つからず、2人はどこか知らない街に迷い込んでしまったようだった。

 

そんな中、父は思い出のセレクトショップを発見!

と思ったら、移転していて大ショック。

 

ようやくたどり着いたその店で、

父は『この服、昔この店で買ったんだよ』と嬉しそうに話しかけた。

でも店員さんの反応はそっけない。

いくら昔ひいきにしていてくれたからといって、継続して来てくれていなければ、高級店にとってはただの侵入者なのだ。

 

そこに見るからに裕福そうな老夫婦が入ってきて、店員はそちらのほうへ行ってしまった。

 

頭のてっぺんからつま先まで行き届いた夫の服装。

よいものを食べ、専業主婦を務めてきたであろう妻の自信に満ちた顔。

奥には、孫だろうか?

まるでこの店には興味がなさそうだが、無自覚のうちにこうして彼女の審美眼は鍛えられていくのだろう。

 

もしトキコが結婚して子供を産んでいたら、娘はあのくらいの年齢になっていただろうか?

もし母が生きていたら、あんなふうに素敵に年齢を重ねていただろうか?

もし父が事業に失敗していなかったら、今もトキコたちは豊かな暮らしを続けていただろうか?

 

トキコの頭は「もしも・・・」でいっぱいになった。

そのとき、父が銀座百点を見つけ、嬉しそうに持ってきた。

 

トキコはもしかしたら未来の自分たちの姿だったかもしれない老夫婦と孫の姿を見やり、店を後にした。

 

父と母の出会い

その後、2人は鴨南蛮そばが有名なそば屋を思い出して行こうとした。

だが店は4、5年前に閉店し、今はもう別の店になっていた。

しょんぼり肩を落とす父を、トキコは居酒屋に誘った。

そこなら焼き鳥も食べられるだろうし。

 

そこでトキコは、ハライチの岩井勇気さんと偶然会う。

岩井さんは実家の猫の動画を見てニヤニヤしていて、

トキコは今度うちのラジオに出てくださいと誘った。

 

席に着くと、父は声に出してトキコのエッセイを読みだし、

トキコは恥ずかしくなって『声に出さないで』と頼んだ。

 

父と母にとって、銀座は忘れられない場所だった。

 

2人は共通の友人の紹介で知り合ったそうだ。

 

母は映画雑誌の編集者で、父は母よりも6歳年下の風来坊。

 

父は、母と銀座でデートしたその日に、母のアパートに転がり込んだそうだ。

 

それを読んで父は『ん?』と首を傾げた。

銀座でデートしていたのではなく、

父と母は1度別れていて、その日、銀座で再会したというのだ。

 

トキコは『そんな話してくれなかったじゃない!』と憤慨した。

『まあ、いいわ。ちょっとその話、聞かせてよ』

トキコが気を取り直して尋ねると、父はごきげんで話し始めた。

 

母は早くに両親を亡くしたため、兄と姉が親代わりになって母とばあば(母の妹)を育てた。

だからあのきょうだいは、とても結束が固かった。

 

つき合ってしばらくして、父はお兄さんとお姉さんに呼び出された。

そしてちゃんと仕事もしていないのに結婚なんてと反対されてしまった。

 

その間、母は父の味方をするわけでもなく、黙ってにこにこ笑っていた。

帰るときも駅まで一緒に歩いたのだが、

『別れましょう』とも『時間をおきましょう』とも言わなかった。

 

それで2人は別れることになったのだが、父はずっと母のことを考えていた。

今みたいに携帯もなかったから、ずっと母の声が聴きたいと思っていた。

 

そして半年くらいが経ち、

銀座をブラブラしていたら、母が偶然向こうから歩いてきた!

 

父はびっくりして走っていって

『会いたかった!』『好きなんだよ!』と叫んだ。

 

そしたら母はいつも持っているバッグからアパートの鍵を出して、渡してくれたのだ。

何も言わず、にこにこ笑いながら。

 

そのまま母は仕事に行き、父はバイトが終わってからアパートに飛んでいった。

そうしてそのまま、転がり込んだというわけだ。

 

『カッコいいだろ?ママ』

父が言うと、

『知ってるよ』

と、トキコは笑った。

 

死してなお、母は、トキコと父の潤滑油だ。

父はご飯を食べながらエッセイを読んでいて、

トキコの顔写真の上に焼き鳥を落とした。

 

『ほら~!』

『やると思った』

『あのね、お父さん、それ私のセリフだから』

 

父はため息をつきながら、おしぼりで汚れをぬぐい、

『ごめん、大丈夫?』

とトキコの写真に向かって謝った。

 

東京という街

その帰り道、父は銀座の思い出をまた話してくれた。

戦後、この辺はアメリカ兵がたくさん歩いていて、ふざけて日本人を橋から落っことしたなんてこともあった。

そんなことをされても日本人はやられっぱなしで何もできず、悔しかった。

 

母と偶然出会ったり、悔しい思いをしたり、いろいろあったけど、

それでも銀座は混沌としていて、いつ歩いてもワクワクした。

 

それが父にとっての、銀座。

 

かって知ったる街でさえ、つかみどころなく消えていってしまう、それが東京。

トキコは街に、そう諭されたような気がした。

 

実感

その後、トキコはラジオで父と銀座に行った話をした。

父が昔通っていたセレクトショップが移転していたり、そば屋さんがなくなっていたり。

人の記憶は場所や風景と強く結びついているから、それがなくなったり変わったりしていると混乱する。

 

変わっていくことが東京の宿命だとわかってはいるが、

東京ももう少し昔の面影を残していてほしい。

 

そこでトキコは、前にお悩み相談のメールをくれた「若いながらもモヤシあり」さんと同じ思いに直面したことに気づく。

そのときは『私は変化を楽しむようにしている』なんて答えたものの、こうして実際に直面してみると、そう簡単に受け入れられるものではない。

トキコは素直に、若いながらもモヤシありさんに謝った。

 

 

『あ~あ、どんどん銀座も薄くなるな』

 

銀座の街を歩きながら、そう父は言っていた。

 

 

「時代とか 東京とか 面影とか」

~5話につづく~

 

 

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『生きるとか死ぬとか父親とか』4話の感想

昔、小学2年生まで住んでいた場所に記憶を頼りに行ってみたことがあった。

するとそこは街のど真ん中で、高層マンションが建っていた。

 

私が住んでいた時は土間にコンクリート?の炊事場がついた、ものすごく古い貸家が何棟か並んでいて、

庭にあった大きなイチジクの木に登って、こっそり塀の外を眺めたものだ。

 

思えばたしかに家の前の通りはいつも車の通りが多く、特に朝は渋滞していた。

でも家がびっくりするぐらい古く、

1本入れば砂利道で、隠れ家っぽい感じだったのでまさかそんなに都会だとは思っていなかった。

 

今はあの家に住んでいた人たちの頭の中だけに、あの景色は存在するのだなぁ。

 

銀座なんて私にとっては、1度訪れたことがあるだけの街にすぎないけど、

トキコやトキコのお父さんにとっては、かけがえのない街なんだなぁ。

 

お父さんとお母さんの馴れ初めも、あんなふうに居酒屋で聞けるような関係になるなんて。

年を取ったなぁと思いますよね。

私は、父と母が大学が一緒だったことぐらいしか知らないのですが、

若いころの2人の写真を見ると、まるで雑誌のようにポーズを取っていて、照れくさかった覚えがあります。

(でも気になって何度も見ちゃうの!)

 

結局、本人から話を聞くことはなかったけど、

おばちゃんたちから聞くお母さんの話はまるで別人みたいで、

ああ、お母さんも普通の女の子だったんだなぁと、なんとも言えないふわふわした気がしたもんです。

 

だからトキコの、もしかしたら自分たちもああだったかもしれないと、裕福なご夫婦と孫に「もしかしたら」を重ねてしまうシーンは、見ていてちょっと辛かったですね。

 

私から見たらじゅうぶん裕福で成功しているように見えるトキコでもそんなことを考えてしまうんだから、

幸せっていうのはほんと揺らぎやすく、ひとがどうこう言えるもんじゃないんだなぁ。

 

それではここまで読んでくださり、ありがとうございました\(^o^)/

またの~。

 

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